indigoblue222の日記

20代仏教徒のあれやこれ

池田大作先生と私

 はじめまして。indigoといいます。

 

ブログを書くのが初めてなので、いろいろと変なところもあるかもしれませんが。

よかったら、読んでいってください。

 

先月、11月15日、創価学会名誉会長である池田大作氏が亡くなられました。

テレビや新聞、ネットでも、様々に報道されたので、創価学会員でない方も、創価の名前を耳にすることが多かったと思います。

「カリスマ」と言われている池田大作氏ですが、実際に創価学会のなかで育ってきた若者が「池田先生」をどう捉えていたか、その一例として、私自身のことを書いていきたいと思います。

 

************************************************

************************************************

 

 創価学会員の家で生まれた、いわゆる学会2世である私は、それこそ赤ん坊のころからずっと、創価学会員の方々と交流しながら育ってきました。

 創価学会では、毎月、「座談会」という会合をやります。

 おそらく、キリスト教でいうミサのような雰囲気だと思います。

 その地域に住む人たちが、老人から子どもまで、みんな集まって、学会の教えを勉強します。

 歌を歌うこともありますし、みんなが楽しめるようなレクリエーションをやったりもします。

 幼いころの私は、座談会のあいだ、一緒に参加している子がいれば一緒にお絵かきをしたり、自分の親が何かみんなの前に出て話すようなことがあれば、その足元に座ってチャチャを入れたりと。自由に、のびのびと過ごしていました。

 座談会が終わった後は、自然と、井戸端会議ようなおしゃべりが始まってしまい、みなさん、なかなか帰りません笑

 特に高齢のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、幼い私を孫のようにかわいがってくれました。

 帰り際、「ほんま、あかんって」と断る親を「なんでやねん、ええやんか」と押しのけるようにして、お菓子を私のポケットにねじこむのです笑

 幼い私にとって、創価学会の会合は、とにかくたくさんの人にほめてもらえる場であり、そしてちょくちょくお菓子をもらえる場でした。

 

 子どものころの私にとって、池田先生は完全に雲の上の人でした。

 なんだかよく分からないけど、みんなが「すごい」と言っているから、すごい人なんだろうと、その程度です。

 みんなに褒めてもらえるだろうと、そんな下心で池田先生が創立された「関西創価高校」を受験しましたが、そこに入学してからも、私の池田先生に対する認識はたいして変わりませんでした。

 みんなが「すごい」と言っているから、「すごい人」。

 よく分からないけど、池田先生の言葉だから、正しい。

 たしかに池田先生の言葉に励まされることは多々あります。でも、「自分で考える」という習慣が薄い日本だからでしょうか。

 言葉だけを見て、その言葉どおりに出来ていない自分に負い目を感じて自信をなくす、みたいなことも多かった気がします。

 もっと、自分の状況に応じて、受け取るべき言葉を選んでも良かったのではないか、と今になってみれば思いますし、きっと、池田先生もそう望んでいたのではないだろうか、とも思います。

 

※学園(創価中学・高校をまとめて学園と呼んでいます)についての私の考えは、また別の機会に書こうと思います。

 

 異を唱えてはいけない、絶対者。まるで神様のような人。

 そんな池田先生に対する認識に変化があったのは、高校三年生の時です。所属していた部活で、部長になったことがきっかけでした。

 一人っ子で、ボッチ体質で、リーダーなんて務められそうもない私だったのですが、同期がいなかったために、やむなく、部長になってしまいました。

 言ってしまえば「多感な時期だから」ということなのでしょうが、最初から、いろいろと問題を抱えた部でした。

 みんなの心がばらばらで、一人一人が苦しんでいました。そんな中で、どうやって後輩たちに接していけばいいのか。

 悩んだすえに、助けを求めたのが、池田先生が高校生向けに書いた『青春対話』という本でした。

 親に相談するにも、部内の細かな仕事や人間関係など、いちいち説明するのも面倒でしたし、顧問の先生は用事がない限り部活に来ることがない方だったので、相談できるほど親しい相手ではありませんでした。

 同期の仲間はいませんし、卒業していった先輩たちにも、頼ろうと思える人はいませんでした。

 そういうわけで、状況が良くなるまでの半年間は特に、池田先生だけが、私にとって頼ることのできる唯一の相手でした。

 

 これは今でもそうなのですが、池田先生の言葉は、自分が苦しんでいる時、必死になって戦っている時にこそ、強く心に響きます。

 高校三年生の一年間で、何度、池田先生の言葉に励まされたかわかりません。

 悩み、本を開き、泣きながら読んで、元気になってまた頑張る。

 うまくいったかと思うと、また問題が起こって心が折れそうになり、本を開き、泣いて、元気になる。

 そのくり返しです。

 電車通学でしたが、周囲の人は「あの子、いっつも泣いてるな」と変に思っていたと思います。お恥ずかしい笑

 

 誠実、思いやり、感謝、努力、挑戦、忍耐……。

 時代をこえて変わらない「真の人の道」を、本を通して教えてもらいました。

 そんな池田先生から受け継いだ多くの財産のなかで、いちばん大きなものは、「自分を信じる心」だったと思っています。

 

「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。

全員が使命の人(何か使命をもって生まれた人)であることを疑わない。

だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。

諸君を信じる。

今がどうであれ、すばらしい未来が開けることを私は絶対に確信しています。

倒れたって、そのたびに起きればいい。

起きれば、また前に進める。

若いのです。

建設です。戦いです。今、これからです。

今、何かを始めるのです。」

池田大作著『青春対話 上』P45)

 

 創価学会が信奉する「法華経」という仏教の経典は、「すべての生命は無限に幸せをつくりだしていく力を、もともと持っている」という思想のうえに書かれています。

 池田先生はその思想を深く理解しているからこそ、どんな人でも、それこそ、創価学会員であろうとなかろうと、すべての人を、心の底から、迷いなく、信じることができるのでしょう。

 

 自分自身を信じることを知らなければ、結局、他の誰かを信じきることもできません。それは友人にしろ、親にしろ、教師にしろ、同じことです。

 人を信じる心の強さは、自分を信じる心の強さに比例しているのでしょう。

 だからこそ、私にとって、人生ではじめて私を心底信じてくれたのが、池田先生でした。

 どんな大変な状況でも自分をあきらめない「負けじ魂」を、池田先生から教えていただきました。

 

 ルソーの著書『エミール』のなかに、こんな言葉があります。

「私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。」

 私にとって、二回目に生まれた時の親が、池田先生でした。

 「私」の人生は、池田先生との出会いからはじまったのです。

 

 よく知らない人からすれば、池田先生は「カリスマ」という言葉で表すのが、いちばんそれらしいのでしょう。

 けれど私にしてみれば、池田先生はもっと温かくて、頼もしい、とても身近に感じている相手です。

 誰にも知られず、泥くさい努力を重ねている時でも、本を開けば、池田先生は私を信じてくださっているのだと、感じることができました。

 私たち創価学会員は「先生」という呼び方をしますが、実際、彼は私にとっても、ごく身近な先生であり、父のような人です。

 私はこの先も、生涯かけて、池田先生を「人生の師匠」と思い、池田先生の弟子として生きていくのだろうと思います。

 

************************************************

************************************************

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

いろいろな見方が出来るとは思いますが、ともかく、これが池田大作氏に対する私のありのままの気持ちです。

 あくまで一例として記したまでなので、創価学会員みんなが同じだとは思わないでください笑

 創価学会にも、学園にも、いろんな人がいます。池田先生についての考え方も、人それぞれです。

 そりゃ、もちろん「わかる~、それな~」と共感しあえたら嬉しいは嬉しいのですが笑

 信仰も、誰を師と定めて生きるかも、個人の自由ですから。

 他の99人が同じだとしても、自分まで同じにする必要はない、というのが私の信条だったりします笑

 

 創価学会員も、そうでない人も、無理に周囲にあわせず、自分が納得できるものを選んで、自分が納得できるやり方とペースで生きていけたら、それでいいんじゃないかな、と思います。