三谷さんの笑いが好き(『セクシー田中さん』作者の訃報に際し三谷幸喜氏のコメントを読んで)
※『鎌倉殿の13人』についてネタバレがあります。
※リンクを貼っていますが、三谷幸喜氏についての話であって、『セクシー田中さん』原作者の訃報についての話はメインではありません。
私、三谷幸喜さんの作品って大好きなんです。人間のダメな部分を笑いで包み込む、あの温かさがすごく好きです。
そんな三谷さんが、リンクの記事のコメントで、「死にたいと思ったことって実はあるんですよね」と仰っているのが衝撃的でした。同時に、やっぱりか、という思いもありました。
他人の苦しみを笑いものにすることと、笑いで包み込むことは、似ているようで違います。人気がある作品のなかにも、そういうところをはき違えているものがたまに見受けられます。
笑われているそのキャラクターに対して、作者の中に少しなりとも愛情や優しさがあるかどうかが分かれ目なのでしょうか。より根本的には、作者に命を大切にする心があるかどうかが、違いを生むのではないかと思います。
『鎌倉殿の13人』を、(私にしてはめずらしく)一回も欠かさず通して見たのですが、あのドラマの中では、誰かキャラクターが死ぬときには、その前にそのキャラクターの好感度を上げるようなシナリオが必ず入るというのがパターンだったんですよね。もちろん、そうやったほうがドラマが盛り上がるという狙いはあると思います。けれどそういう思惑のほかに、一つ一つの死をないがしろにしないで丁寧に描く、三谷さんの姿勢があるように私は感じていました。
確信したのは、最終回で、タイトルにある「13人」の意味が明かされた時でした。
評定衆のもとになった合議制の人数が13人ということになってはいますが、13人がそろったのはほんの一瞬。タイトルにするには印象が弱いなと釈然としないままドラマを見続けていたのですが……。あれは主人公が殺した人の数だったんですね(ということに、三谷さんはしたんですね)。鎌倉幕府を安定させるため、後には北条に力を集めるために犠牲になった人たちの数が、全部で13。名もなき兵たち、数々の戦に巻き込まれた庶民らも含めればもっと数は膨れ上がるのでしょうが。それでも、死者の数をタイトルに持ってきたところに、三谷さんの、一人一人の命を大切にしたいという思いが強く表れている気がして、深い感動を覚えました。
個性の強い役者さんを集めてきて見事に調和させる、あの手腕にも驚かされるのですが、鎌倉幕府の成立期という殺伐とした時代をあそこまで面白いコメディに仕立て、なおかつ、人の死に真摯に向き合い続けたということに、私は脱帽します。三谷さん、ホントすげえよ。
リンクの記事で「死にたいと思ったことって実はある」と仰っているのを拝見して、だからあんな作品がつくれるんだ、と納得しました。
死ぬ手前まで行ったことがあるから、生きていく喜びも分かる。自分が苦しみ抜いたからこそ、他人の苦しみにも敏感になる。そりゃ、優しくなりますよ。誰かをいじめるような笑いは書けないんですよね、きっと。
『セクシー田中さん』については、マンガも少し試し読みしただけで、ドラマも見ていないので、何を言うこともできません。ただ……自殺の話を聞くたびに思うのは、逃げちゃえば良かったのに、ということです。三谷さんは責任を感じて踏みとどまったと仰ってますが。私は「何を放り出してもいいから生きて」と言いたい派です。心臓だけ動かしてれば、なんとかなります。命ってそういうものです。生きがいなんて、諦めなきゃ何度でも手に入れられます。生きててほしかったなあ。もっと楽しいこと、たくさんあっただろうになあ。
未来部家庭訪問(もどかしさ)
クリスマス前。
女性部の先輩に連れていってもらい、未来部員、つまり創価学会に入会している子どもがいるお家を訪ねてまわりました。
クリスマスらしくラッピングしたお菓子を袋から取り出すと、子どもたちの目はとたんに、そこに釘づけになります。
お金にあまり余裕がなく、ほんの気持ち程度のものしか準備できなかったのですが。それでも子どもたちが目を輝かせ、笑顔で受けとってくれるので、こちらのほうこそ嬉しくなってしまいました。
お菓子を渡してしまうと、あとは女性部の先輩とその家のお母さんが会話する隣で、ただただ、相づちを打っているだけです。
以前に比べるとずいぶんマシにはなったのですが、緊張しやすい性質と口下手は、そう簡単に直るものではありません。少し年長の子が、奥に引っ込むこともできずに退屈そうにしている姿に昔の自分を重ねながら、その向かいで、ただ突っ立っているばかりです。
何もぼうっとしているわけではなく、頭の中では目まぐるしく考えを巡らせているのですが、緊張すればするほど、言葉を口に出す前に、喉のあたりで検問にひっかかってしまうのです。本当にそれを言って大丈夫なのか?今このタイミングで言ってよいことなのか?いちいち言葉を検閲している間に、会話は次の話題に移ってしまい、用意していた言葉は意味をなさなくなる。いつもの私のクセです。私にとって人との会話はスポーツです。考えこみ、迷ってしまうと、うまく出来ません。
本当は、子どもたちの話をもっと聞き出したいです。子どもたちに語りたいことが、たくさんあるような気がします。
大人になると忘れてしまう、子どもが見ている世界のこととか。その世界で、どんなふうに一生懸命に生きているのか、とか。
子どもが、私たち大人の来た道を、ただ辿っているだけだとは思いません。子どもたちの生活の中には、大人たちが忘れてしまった感情も、大人たちが経験してこなかった今の時代だからこその体験も、両方あると思います。そういったことを彼らからもっと学びたいのですが……親ですらない私は、会いに行ったわずかな時間のなかで、彼らの人生を垣間見ることしかできません。
また、これは私自身の願望でしかありませんが、出会った子どもたちには未来の平和を担う人材になってほしい、とも思ってしまいます。
戦争のない世界。一部の犠牲の上に一部の幸福が成り立つ、そんな仕組みとは決別した社会。本気で実現しようと思えば、気が遠くなるような長い道のりです。創価学会員でも、創価学会員でなくても、宗教に関わらずどんな立場でも、平和を願い行動している人が世界中にいます。そのあとを誰かに継いでもらわなくてはいけません。
とはいえ、それはあくまで私の願いであり、幸せにはいろんな形があります。まずは目の前の子ども一人一人に、めいっぱい、自分の幸せを掴んでもらいたいし、この今を、伸び伸びと、楽しく過ごしてもらいたい。私もそのために、わずかでも力になれたら、と思います。
創価学会は私にとって訓練の場です。厳しい方がいなくて、とにかく皆さんが優しいので、自分のペースで、少しずつ、成長させてもらっています。
私の訓練につきあってもらっている子どもたちにも感謝です。
私に出来ることは少ないけれど……私の良いところもカッコ悪いところもぜんぶ見て、君たちの幸せのために、少しでも役立ててほしいなあ。
12月座談会
今月の座談会では、大きく時間をとって、参加者の皆さんに池田先生への思いを順番に語っていただきました。
先月の座談会は池田先生が亡くなられたと発表されて間もなく開催したので、内容の変更ができなかったのです。
その代わり、今月はぜひともやろう、ということで、満場一致でメイン企画が決まりました。
直接的、また間接的に池田先生から受けた恩がどれほど大きいか語る人。池田先生との出会いを回想する人。池田先生に教えていただいた人生の指針を皆に伝える人。自分の姿を通して、池田先生のすばらしさを証明しようという人。皆さん、それぞれに深い思いを込めて語ってくださいました。
ときどき声を詰まらせる方もいましたが、やはり皆さん、元気です。
先月も、私ふくめ、誰もが涙ながらに話をしていましたが、それでも意気消沈している人はいませんでした。涙で頬を濡らしながら、毅然と、また微笑みながら、「いよいよこれからだ」「ますます頑張ろう」とお互いに励まし合いました。
私たちが輪になって語り合う背後に、南無妙法蓮華経の文字曼荼羅(もじまんだら)が安置されていました。仏壇は明るい金色で、そのなかに掛けられた曼荼羅も、蛍光灯の光をあびて鮮やかな墨痕を際立たせています。
皆さんの話を聞きながらその曼荼羅を見上げていると、まるで池田先生がそこにいらっしゃって、嬉しそうに、うなずきながら皆さんの話を聞いているように思えました。
座談会終了後、会場参加の皆さんとわいわい雑談した後に、ふと一人になって空を見上げると、ぐっと涙がこみ上げました。
池田先生という大きな指導者を失ったのに、みんな、これまでと変わらず信心に励んでいます。相変わらず、穏やかで温かい空気に満ちています。
池田先生、ご覧ください。これが、あなたのつくった創価学会です。
マスクの中、晴れた冬の空に向かって言うと、「頼むよ」と、また池田先生の声が聞こえた気がしました。
池田大作先生と私
はじめまして。indigoといいます。
ブログを書くのが初めてなので、いろいろと変なところもあるかもしれませんが。
よかったら、読んでいってください。
先月、11月15日、創価学会名誉会長である池田大作氏が亡くなられました。
テレビや新聞、ネットでも、様々に報道されたので、創価学会員でない方も、創価の名前を耳にすることが多かったと思います。
「カリスマ」と言われている池田大作氏ですが、実際に創価学会のなかで育ってきた若者が「池田先生」をどう捉えていたか、その一例として、私自身のことを書いていきたいと思います。
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創価学会員の家で生まれた、いわゆる学会2世である私は、それこそ赤ん坊のころからずっと、創価学会員の方々と交流しながら育ってきました。
創価学会では、毎月、「座談会」という会合をやります。
おそらく、キリスト教でいうミサのような雰囲気だと思います。
その地域に住む人たちが、老人から子どもまで、みんな集まって、学会の教えを勉強します。
歌を歌うこともありますし、みんなが楽しめるようなレクリエーションをやったりもします。
幼いころの私は、座談会のあいだ、一緒に参加している子がいれば一緒にお絵かきをしたり、自分の親が何かみんなの前に出て話すようなことがあれば、その足元に座ってチャチャを入れたりと。自由に、のびのびと過ごしていました。
座談会が終わった後は、自然と、井戸端会議ようなおしゃべりが始まってしまい、みなさん、なかなか帰りません笑
特に高齢のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、幼い私を孫のようにかわいがってくれました。
帰り際、「ほんま、あかんって」と断る親を「なんでやねん、ええやんか」と押しのけるようにして、お菓子を私のポケットにねじこむのです笑
幼い私にとって、創価学会の会合は、とにかくたくさんの人にほめてもらえる場であり、そしてちょくちょくお菓子をもらえる場でした。
子どものころの私にとって、池田先生は完全に雲の上の人でした。
なんだかよく分からないけど、みんなが「すごい」と言っているから、すごい人なんだろうと、その程度です。
みんなに褒めてもらえるだろうと、そんな下心で池田先生が創立された「関西創価高校」を受験しましたが、そこに入学してからも、私の池田先生に対する認識はたいして変わりませんでした。
みんなが「すごい」と言っているから、「すごい人」。
よく分からないけど、池田先生の言葉だから、正しい。
たしかに池田先生の言葉に励まされることは多々あります。でも、「自分で考える」という習慣が薄い日本だからでしょうか。
言葉だけを見て、その言葉どおりに出来ていない自分に負い目を感じて自信をなくす、みたいなことも多かった気がします。
もっと、自分の状況に応じて、受け取るべき言葉を選んでも良かったのではないか、と今になってみれば思いますし、きっと、池田先生もそう望んでいたのではないだろうか、とも思います。
※学園(創価中学・高校をまとめて学園と呼んでいます)についての私の考えは、また別の機会に書こうと思います。
異を唱えてはいけない、絶対者。まるで神様のような人。
そんな池田先生に対する認識に変化があったのは、高校三年生の時です。所属していた部活で、部長になったことがきっかけでした。
一人っ子で、ボッチ体質で、リーダーなんて務められそうもない私だったのですが、同期がいなかったために、やむなく、部長になってしまいました。
言ってしまえば「多感な時期だから」ということなのでしょうが、最初から、いろいろと問題を抱えた部でした。
みんなの心がばらばらで、一人一人が苦しんでいました。そんな中で、どうやって後輩たちに接していけばいいのか。
悩んだすえに、助けを求めたのが、池田先生が高校生向けに書いた『青春対話』という本でした。
親に相談するにも、部内の細かな仕事や人間関係など、いちいち説明するのも面倒でしたし、顧問の先生は用事がない限り部活に来ることがない方だったので、相談できるほど親しい相手ではありませんでした。
同期の仲間はいませんし、卒業していった先輩たちにも、頼ろうと思える人はいませんでした。
そういうわけで、状況が良くなるまでの半年間は特に、池田先生だけが、私にとって頼ることのできる唯一の相手でした。
これは今でもそうなのですが、池田先生の言葉は、自分が苦しんでいる時、必死になって戦っている時にこそ、強く心に響きます。
高校三年生の一年間で、何度、池田先生の言葉に励まされたかわかりません。
悩み、本を開き、泣きながら読んで、元気になってまた頑張る。
うまくいったかと思うと、また問題が起こって心が折れそうになり、本を開き、泣いて、元気になる。
そのくり返しです。
電車通学でしたが、周囲の人は「あの子、いっつも泣いてるな」と変に思っていたと思います。お恥ずかしい笑
誠実、思いやり、感謝、努力、挑戦、忍耐……。
時代をこえて変わらない「真の人の道」を、本を通して教えてもらいました。
そんな池田先生から受け継いだ多くの財産のなかで、いちばん大きなものは、「自分を信じる心」だったと思っています。
「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。
全員が使命の人(何か使命をもって生まれた人)であることを疑わない。
だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。
諸君を信じる。
今がどうであれ、すばらしい未来が開けることを私は絶対に確信しています。
倒れたって、そのたびに起きればいい。
起きれば、また前に進める。
若いのです。
建設です。戦いです。今、これからです。
今、何かを始めるのです。」
(池田大作著『青春対話 上』P45)
創価学会が信奉する「法華経」という仏教の経典は、「すべての生命は無限に幸せをつくりだしていく力を、もともと持っている」という思想のうえに書かれています。
池田先生はその思想を深く理解しているからこそ、どんな人でも、それこそ、創価学会員であろうとなかろうと、すべての人を、心の底から、迷いなく、信じることができるのでしょう。
自分自身を信じることを知らなければ、結局、他の誰かを信じきることもできません。それは友人にしろ、親にしろ、教師にしろ、同じことです。
人を信じる心の強さは、自分を信じる心の強さに比例しているのでしょう。
だからこそ、私にとって、人生ではじめて私を心底信じてくれたのが、池田先生でした。
どんな大変な状況でも自分をあきらめない「負けじ魂」を、池田先生から教えていただきました。
ルソーの著書『エミール』のなかに、こんな言葉があります。
「私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。」
私にとって、二回目に生まれた時の親が、池田先生でした。
「私」の人生は、池田先生との出会いからはじまったのです。
よく知らない人からすれば、池田先生は「カリスマ」という言葉で表すのが、いちばんそれらしいのでしょう。
けれど私にしてみれば、池田先生はもっと温かくて、頼もしい、とても身近に感じている相手です。
誰にも知られず、泥くさい努力を重ねている時でも、本を開けば、池田先生は私を信じてくださっているのだと、感じることができました。
私たち創価学会員は「先生」という呼び方をしますが、実際、彼は私にとっても、ごく身近な先生であり、父のような人です。
私はこの先も、生涯かけて、池田先生を「人生の師匠」と思い、池田先生の弟子として生きていくのだろうと思います。
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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
いろいろな見方が出来るとは思いますが、ともかく、これが池田大作氏に対する私のありのままの気持ちです。
あくまで一例として記したまでなので、創価学会員みんなが同じだとは思わないでください笑
創価学会にも、学園にも、いろんな人がいます。池田先生についての考え方も、人それぞれです。
そりゃ、もちろん「わかる~、それな~」と共感しあえたら嬉しいは嬉しいのですが笑
信仰も、誰を師と定めて生きるかも、個人の自由ですから。
他の99人が同じだとしても、自分まで同じにする必要はない、というのが私の信条だったりします笑
創価学会員も、そうでない人も、無理に周囲にあわせず、自分が納得できるものを選んで、自分が納得できるやり方とペースで生きていけたら、それでいいんじゃないかな、と思います。